解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

中動態の世界 意志と責任の考古学

 

「20歳過ぎると皆同じ」←え、何だこれ?!

こんなふざけたことを言ったのは誰?どうしてこんな適当なことが言えるの?

 

 

この言葉は、私が高校生の時に校長先生から言われた言葉だ。

 

何なのこの言葉。

 

なんでこんなふざけたことを言いうの?

 

何の為?誰の為?どうして?意味が分からないけれど?

慰め?

 

何の言葉なの?

 

 

 

人間って、本当に“縁”によってすべてが成されている。

 

“自分”というものをちぎって、「これが私です!」と、言えない。

 

どこまでちぎっても「この部分が私です!」と、言う部分も結局は誰かの縁の中で作られたものに過ぎない。

 

「私って?」と考えてしまうと深みにはまってしまうし、それを今言いたい訳ではないので、ここではつっこまないが。

 

 

「私」と思っている部分はどこなのか?

 

どれも貰い物や縁によって恵まれ、上手く自分の中に吸収したものではないのか?

 

自分を構成させるもののうち、「ここからここまでが私」と、言えるものはあるだろうか?

 

誰かの教えであったり、誰かの言葉でやる気が出たり、受動態と、能動態のその間に中動態という言葉がある(下記、著者の造語と思われる)。

 

この本は素晴らしく、こんなこと良く考えたな・・・と思いひたすら感嘆するばかりであった。

 

この発明って、叱咤激励する人、誰かを導く人に知って貰いたい。

 

意志と責任の考古学って痺れる。読んでいても常に痺れた。

 

 

 

 

この本をまた再度読んでみたいと思う。

 

読んだ時も生まれて初めて聞いたことばかりで、関心したが。

 

自分の力が出せない人なんかにも読んで欲しいかな。

 

この本を読んだ時の感動を味わったみて欲しいな。

 

 

これからもっと本の紹介もしていこうと思う。

 

この本はスケールが大きすぎる。

 

もっと、この考えが世に広まってくれたらな。。。

 

もっと踏み込んだ考えにならないかな。

 

とにかく、好奇心を掻き立ててくれる。

 

お時間のある方、読んでみると考えさせられるし、喉が唸りますよ☆

 

それではまた☆