解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

髪の毛は盛って盛って盛って、車内で独りで泣いて泣いて泣いて。【黒歴史】

 

「若い頃の過ちなんてもう全て時効よ!」

 

「若い頃の過ちなんてもう全て時効よ!」

なんている人も居るとは思うが、私は一生消えない罪を背負っているし、簡単に“時効”なんかで終わらしては良くないと思う。

 

「嫌な過去を思い出して暗く生きろ」という訳ではない。

 

でも、簡単に何でも「もう時効やし」と一切を片付けてしまう人は、本当にそれで納得してるのか疑問に思う。

 

私なんて罪だらけで、“時効”とは思えない。

 

特に“誰かを悲しませた事”なんて、勝手にこっちの都合で“時効”なんて決めれるものでもないと思う。

 

一生背負って生きないといけないと思う。

 

しょんぼりしたおじさんの後ろ姿と夕焼けと木

と、いう私は

と、言う私は実際その罪の重さに押しつぶされているが。

 

仕方の無いことだと思う。

 

それ程の人生を送って来てしまったのだから。

 

両親を始め様々な人に迷惑を掛けて生きて来た。

 

上手く昇華させて“時効”と言っているなら良いけれど、私は上手く昇華出来ず罪の意識に溺れている。

 

溺れて死んでしまったら話にはならないが、罪の意識はある程度程々に持っていた方がいいのでは無いか?とは思う。

 

簡単に“時効だ”と手放してはいけないと思う。

 

上手く昇華されなかった罪

上手く昇華されなかった罪は山のようにある。どの罪を見ても全く許したくない。

 

これは一種の病気なのだろうか?完璧主義だからなのだろうか(自分では完璧主義とは思っていないが)?

 

でも良く「本来は真面目よね」ということを言われる。

 

派手にやらかしてきてしまったから、何とも言えないが、「内心はずーっと真面目でしたけど(>_<)」という面持ちになる。

 

まるで派手にはめを外している時、心の底から楽しんでいた訳では全くない。

 

それがどれ程苦しかったか。

 

しなくて良いなら、不真面目なこと派手な事なんてしたくなかった。

 

確かに派手な格好をしていたけど、心底好んでそんな派手な格好、派手な生活をしていた訳じゃないよ。涙

 

思い出すだけでも辛いよ。

 

どうして私だけこんなに虚勢を張る生き方をしていまったのだろう。

 

虚勢を張れば張る程外界は派手になっていき、どんどんと自分との間で二分化されて行き…。

 

夜の帰りも遅いし付き合う人もどんどんと派手になって来るし。

 

ブレーキがたがが壊れたように、もう完全に21歳以降は狂っていた。

 

もう、本当の自分に戻れないでいた。

 

しゃがんで泣いている女性

 

毎晩泣いていた。

 

亡き祖父に毎晩謝っていた。

 

「いつかちゃんとするから、許しておじいちゃん…」なんて言っても、“結局ちゃんとする”日なんてこなかった。

 

病気になってしまって自我が壊れた。

 

壊れるのは一瞬の出来事であった。

 

「いつかちゃんとする」なんてこんな約束しなければ良かった。

 

でも、私は今から15年程前からこの発言をして来たので、いつか「ちゃんとする日がきたら良いのに」とは思っている。

 

本当はこんなアバウトな約束するものじゃないと思うけど、約束をしたのなら守らないといけないと思う。

 

諦めていたけど

 

何だか、この記事を本当に日記のように使わせてもらって申し訳ないのですが、この記事をグダグダと書きながら進めていると「ちゃんとしよう」という気持ちにはなった。

 

いつまで継続する分からないし、もう手遅れ過ぎるけど、もう一度出来るところまで「ちゃんといしてみよう」かと思う。

 

でも、これは解離をしているから思うことであると思う。現実では、生きていくことさえままならないのに。

 

退院も失敗してずーっと入院生活なのに。

 

何が「ちゃんとする」だよ。遅すぎるよ。

 

と、自分に対して思うけれども、やっぱりおじいちゃんとの約束でもあったし「いつかちゃんとする」と言う言葉を忘れずには居ようと思う(それが叶えられるかは分からないが)。

大学と言う名の遊び場。

一応大学卒業まではしているが、相当乱暴な生活を送っていた。クソ底辺のクソ学校。

 

彼氏の家に入り浸っていたり、大学と言ってもひたすら喋ったりカラオケに行ったり。

 

大学まで私はワゴン車で行っていたり。そのまま皆を連れてどこまでも遊びに行った。

 

勉強なんてした記憶がほとんどない。

 

まぁ髪の毛も金髪で。当時はアユ、安室ちゃん、エグザイル…派手な人ばかりだった。

 

周りの人も彼氏もタトゥも居れていた。

 

私の家は厳しいのに、両親には嘘で固めて夜の世界で溺れて行っていた。

 

でも、「夜の世界は20歳で辞める」と言っていたのでその後はしてはいないが。

 

本当に今思っても滅茶苦茶な人生を送っていた。

 

高校なんて

高校なんて、校則もほっとんどない。髪は染めエクステを付け、その上からかなりウェーブの利いているパーマのかつらを付けたり。

 

化粧もつけまつげを目の上まつげに2重のつけまつげを、下のまつげには一重でつけまつげを。そして何ミリだったか忘れたが大きめの縁のあるカラコンをして。

 

髪の毛は盛って盛って盛って。相当無茶苦茶だった。

 

今思い返しても、「そりゃ人生抱えられないくて潰れてしまうわ」と思う。

 

常に頭の中は“遊ぶこと”しかない。たばこは吸うはお酒もテキーラから何から何まで滅茶苦茶に飲むわ。

 

本当のアホな時代だった。

学園祭

 

誰か助けて

でも、これだけ遊んでいても、“満たされることは無かった”。どころか“ずーっと亡き祖父に謝っていて毎日仮面の裏では「誰か止めて」「誰か助けて」と常に泣いていた。

 

今の人たちは真面目だから、私みたいな人生を送っている人なんて居ないのであろうか?

 

もし、私が助けて欲しかった時のように暗闇で「誰か助けて!(>_<)」と、思っている人がもしいるなら、暗闇の中で泣いているあなたを助けたい。傍に居たい。

 

私は自宅が厳しいので、自宅には帰れず、車の中で常に寝ていた。冬の車内なんてかなり冷えた。

 

毛布を被って後部座席に横になって朝が来るまで待っていた。

 

あの時の寂しさは今でも涙が出る。

 

派手な格好をしていたが、常に「どうにかしないと」と、思っていたし、常に泣いていた。

 

思い出すだけで心が動く。泣ける。

 

もし私と同じ思いをしている人が居れば

 

私はその子の傍で一緒に過ごしたいと思う。

 

一人で寂しい思いを少しでもしないように、何とか解決方法を一緒に考え、共に人生に立ち向かって来たいと思う。

 

私が若い頃出来なかったから、せめて大人になった今何かちっぽけでも力になれたら…なんて偉そうなことを思う。

 

まずは私も自分をしっかりと立て直さないといけないけれども、同じような人が居るのなら、今すぐにでも駆けつけていきたい。

独りで泣いている女子高生



駆け付けられる人になるために

自分をもっともっと成長させて、病院から早く出て社会で稼いで、余裕のある生活をしないといけないと思う。どんな大人とでも対等にやり取りが出来るように基礎学力も上げて。

 

でも、同じように泣いている人なんているのかな?

 

もう時代も違うしな…とは思う。

 

毎晩車内で私は怖さ孤独と寒さと闘いながら泣いていた。

 

コンビニやレンタルビデオショップの前の灯りのあるとこに車を停めて、誰にもばれないように一人で泣いていた。

 

こんな思いする人が一人でも減りますように…。

 

一輪のひまわり

 

変な日記になってしまいましたが、読んで下さったかたがいらっしゃいましたら、本当に貴重なお時間使って頂き有難うございましたm(__)m