今日は上記の本『100分de名著 永遠の今を生きる者たち 内村鑑三 代表的日本人』(著)若松 英輔 の本を読んだ。
内村鑑三の『代表的日本人』という本を若松 英輔氏が、かみ砕いて説明してくれている本なのでとても分かりやすった。
内村鑑三はクリスチャンだが、この本は「天」について書いている本である。著者内村鑑三氏の『代表的日本人』には西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人生涯を通して「天」の存在を描き、生きがいのない現代を生きる意味を提示してくれている本だった。
現代の人は「自分のやりたいことをする」ということを目標のようになっているが、内村鑑三氏は違った。最近は世の風潮として「夢を持とう」、「目標を持とう」というような時代の雰囲気であるが、この本は全く異なったことを言っていた。
自ら掴みに行くのではなく、「天に使ってもらう」「用いてもらう」そんな感じである。この本では「天の使命に従う」とか「天の声に耳を澄ます」とか「待つ」という言葉で書かれてある。
また、
自分がやりたいことやるのが人生の目的なのではない。自分が求められていることを実践することが人生である。(本文引用)
世に求められているように生きてみる。(本文引用)
内村にとって人生は与えられたものではなく預かっているもの。(本文引用)
これらの表現には関心した。
そして“使命”について詳しく書かれており、“使命”を扱うだけでも大変なのに、内村は“使命”をさらに踏み込んで説明していた。
使命は個に属さないと内村は考えていました。使命は一人の個人で完成されることはなく、必ず受け継がれる。「私」の使命ではなく「私たち」の使命であると認識していた。さらに使命は、「知らぬ間に」、次の世代へと受け継がれていきます。誰に受け継がせる、受け継がせない、というものではない。受け継ぐ相手が誰なのかは、自分には分からない。自分が意図しないところで、継承されていくものだ。(本文引用)
と、内村は“使命”は個に属さず受け継がれるとを断言している。
また、この部分を詳細に扱ったと思われる部分に、内村の妻が亡くなったときのことが書かれてあった。
妻は亡くなり、その肉体は内村から離れてしまったが、しかし、本当に心が一つになるということは、彼女が亡くなってから起きたと内村は言ってる。
生きるとは、自分の願いを成就させることではなく、いかに先人たちの生涯から受け継ぐものを見出し得るかという大きな挑戦であるともいえます。(本文引用)
と、あるように内村は妻が亡くなってから、自分たちに残された「遺物」を受け継いだのだと、亡くなってから「遺物」に気づくのかと何とも不思議なものであると、私自身も思った。
また、他の部分で、
「私」は他者のなかにあって、はじめて「私」です。人間である「私」は、自然のなかにあることで「私」であり得ています。「私」は、過去をつながり、未来に開かれていることで今ここにおいて「私」として生きている。さらにいえば、他者、自然、時間を司るものを内村は「神」と呼びました。他者、自然、時間、神、この四者とのつながりをどう取り戻すことが出来るのか、それを模索することが、彼いう「高尚なる勇ましい生涯」だといえると思います。(本文引用)
という何とも独特な発想についても触れられていた。
そして「高尚なる勇ましい生涯」こそもっとも高貴な「遺物」でとのことで、『後世への最大遺物』にあるらしいが、私たちも後世のために残さなければならない。
後世のために私たちは生きねばならない。
自分一人で生きているのではないし、私も他者から何を受け取り、未来からくるものへ何か残していきたいと思う。
内村は「後世のために」という言葉をよく使われていたが、私も「後世のために」との思いで少しは何かを残したいと思う。
それは、お金でも事業でも何でも良いとも言っていた。
独特な世界観で深淵な本であったが、何気なく過ごしているとなかなか内村のような目線で生の営みが送れていないので、このように大切なことを気づかせてくれてくれて貴重な本であるし、本の重みを改めて感じた。
今回は100分de名著だったので、原作を読んでみたいと思った。
後、私は改めて若松 英輔氏の描いた本が好きだと感じた。とても読みやすいし取り上げて解説してくれる本がどれも私好みだ。
また若松 英輔氏の本を読みなおそうと思う。
今回は本の紹介でした。
また、良い本があればレビューさせてもらおうと思いますm(__)m
本日もありがとうございました☆