解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

私はただの実験台

こんにちわ。一段と寒くなってきましたが、皆様いがかがお過ごしでしょうか?

 

本日は土曜日ですのでどかへお出かけの人が多いでしょうか?

 

こちらは、まだ入院中ですが、院内にあるカフェには行けるのでカフェで本日は学び直しの勉強をしようと思います。

 

て、そんなことはどうでも良いですが、では、早速ですがいつものように始めてみたいと思います。

 

 

 

本日の様子

本日の様子ですが、今日は朝からの暴れはないが疲れている。女性のホルモン周期的に見ても、疲れていて仕方のない日だと思う。
泣いたりもしていない。
でもとにもかくにもクタクタで、鬱状態の時よりはましだけど、それに近いものを感じる。
鬱状態の時は本当に寝たきりだったので、それに比べると比ではないほどなのかもしれないけれど、薬の飲みすぎもあるのかな?とにかく、体が疲れ切っているので、カフェに取り敢えずで来てみた。

長期入院すぎて太陽に浴びていなかったので、その影響もあるのかもしれない。ビタミンBが生成されなさすぎなのかもしれない。

そんなこんなで、「何とか動いている」と、言った感じだ。

そして、そういえば昨日から作業療法の中身が変わり、「退院後どのように過ごすか」ということを話ことになって、先生も一緒に考えてくれていた。

退院後、皮肉にも、私は何とか解離をさせないといけないようになってしまっているので、「どうしたら本当の自分に戻らなくて済むか。どうしたら解離できて発狂せずに済むか」を考えていた。

私の解離は「空気」によって解離の強弱が現れるので、「一人で家に居るよりも、図書館やカフェに居る方が良い」ということだった。

途中で発作のような症状(現実と突然繋がってしまう)が現れると、もう命が奪われそうになる。その状態(A)になると、(B)になることは、意図して出来ることではないので、本当に生死の境に連れて行かれる。

入院中でのそんな時はどうにもなっていないのに、退院してから一人の時にそのようになれば、本当に死なないか怖い。


私のせいでは無いなんて通用しないから


でも、とにかく今月中に退院はしないといけない。どうして、こんなことになってしまったのか、本当に涙がでる。「私が悪い訳じゃないよ。幼少期の頃から…」なんて話を何度されても、自分を責めるしかない。

幼少期のことなんて言い始めたら、皆無責任になってしまうだけ。
意図しなくても、幼少期がどんな状態であろうが、今、解離でこんな状態になってるのも、自分で責任を取るしかない。

そんなことを行ったら人を殺めても何でも良いことになってしまいそうだ(極論ではあるが)。

 

宿命の強さ


それにして、自分の意志とは違うことばかりで、“宿命”の強さを感じる。

これ以上自分でどうしようも無いことだらけだ。

解離してしまうのも、自分で選んでいる訳ではない。なのに、それでも、私が責任を取らないと話にならない。どうして解離に成ってしまったのか?

カウンセラーさんは「私が解離をすることが得意だったから」と言っていたけれども、そんなこと言われても・・・。自分ではどうすることも出来ない。

二匹のライオン



動物の原始的な防衛本能は「戦う」、「逃げる」、「固まる」

動物には危機に遭遇した時、この3つに分かれると本で読んだことがある。
人間も動物の一種だとしてこの3つに少し無理やり当てはめるなら、「固まる」では無いかと思う。

しかし、人間の場合は10種類もの防衛がある。私の解離は何に当たるのか?ということであるが、私の場合は下記に当てはめると、

 

退行、抑圧、反動形成、分離(隔離)、打消し、投影(投映)、取り入れ、自己への向き変え(置き換え)、転倒(逆転)、昇華の10種類があります(詳細は具体例とともに後述)。(引用:リベラルアーツガイド

 

「分離」に当たるのだろう。一番しっくりくる気がする。
とにかくもう今は何もないはずなのに、常に解離されていて、常に異常をきたしている。

 

 

どのように治のか

どのように治るのかと、いうことも、今まで解離の為だけに本等にいろんな病院を彷徨いに彷徨ってきたので、数十か所は行って来たが、医師はみんなバラバラなことをいうし、治るのも、十人十色であるという。
「身も蓋もない」というように私は感じたが、でも、本当に「放っておけば治る」とっ言っていた医師も複数人いた。しかも書籍を書いている人がこのような発言をしたので、あっけに取られた。これまた「極論」を話したのか分からないが、そのように言っていた。

本の内容自体は治療のことまで具体的に書いていなかったけれど、解離そのものの認識はそんなに大きく違わなかったと思うが。

でも、今では思う。

砂の上に座っている子ども

 

こんなに酷くなった側からすると

こんなに酷くなった側からすると、この言葉が「あながち間違いではなかったのかもしれない」と、少し思って来ている。始めこの「放っておく」ということに、「何ふざけたことを
言っているねん!こんなにこっちは苦しんでるのに!」と思ったが、今滅茶苦茶に人生を解離で潰されてからは、ふざけたことを言っているとは限らないと思うようになった。

しかし、私の「放っておく」という言葉は、「治療をしなくても良い」と言っているのではない。“自然に動く心の働きを一番大切にした方が良い”ということが言いたい。決して治療をするなということではない。


私自身解離&鬱状態で、8年間治療を続けてきたが、人生をめっちゃくちゃに潰されたと思っている。とくにカウンセラーさんにはめっちゃくちゃにされた。

全く心の願う方とは違う方に導かれた。そして、途中から「方針間違えました」と、言われた。本当にこんなことあってはならないことだと思うし、こんな滅茶苦茶にされるなら、「カウンセリングなんて行かなけばよかった。人生を返して人生を返して」と、ここ2程号泣し、死にそうになるまでに追い込まれた状態に怒り狂っている。

泣いても暴れても人生は戻って来ない。

 

「解離の治療だから」


「解離の治療だから」という言葉にどれだけ、自分の心に嘘をついて付き従って来たか。慈自分の心は「違う!何か違う!生きるってそんなことじゃない!」ってずーっと訴えて来たけれども、カウンセラーさんは「解離を治す為だから」と言う言葉に全てを丸め込んで、私がおかしいと訴えても取り合ってもらえなかった。取り合ってもらえないと言っても、よくよく何度も、おかしいいと思うところなど、話をしたが、もう聞く耳持たずで、教科書しか見ていない、「私はただの実験台にされていた」のだった。

 

実験室



「私はだだの実験台」


今でも思う。治療者は“自分が解離を治した”という名誉を手に入れたいだけで、“私を真剣に助けようとはしていない”ということだ。本当に目の前にいる私を助けようとしてくれたのか?

本当に私を助けようとした純粋な気持ちだけだったか?自分の名誉欲などは無かったか?

どうして、そんなやり方の治療になったのかが、私には分からない。

確信も無いのに、私で試してみて違ったら「もう診れない」と、私を突き放したカウンセラーも居た。「離れることを私が望んでいるからだ」と、そのカウンセラーは言っていたが、そのせいで、言われるからしたことによって、人生が滅っ茶苦茶にぐちゃぐちゃに潰されて、こうして今も命が無くなりそうになってる。

こんなところまで追い込まれなくても良かったのに。こんなに「解離の治療のため」と言われても「従ってはけなかった」と、酷くされてから、今なら思う。

カウンセラーは先生というような立ち位置にいるように感じるのでつい、主従関係みたいになって、治してもらおうと思ってしまう。

しかし、それが良くなかった。もっと「違う違うと」押せばよかった・・・。が、結構主従関係ながらも、何十回と「本当に?おかしくないですか?」と散々これでも言って来た方だと思うが・・・。


「診ることが出来ない」と断られたこともある齢私に、折角解離を診てくれている人に強く、強く何度も何度も疑念をそのまましつこく言うことはしにくい立場だった。

 

解離をちゃんと見ることが出来る人、名誉欲に溺れていない人に。

これらのことからも見て取れるように、解離の治療って、きちんと診て貰える人に出会えるかがかなり問題となる。関門が多すぎる。

解離の人もよくよく考えてみて欲しい。「先生という立場の人が言うのだから」と言って、従ってはいけない。「おかしい」と、思えば堂々と自分の意見をいうべきである。躊躇しなくてもよい。「先生」と呼ばれてはいても、解離に対しての免疫なんてほとんどないに等しい。躇せず、どんどんと押していこう。自分の「心」に従って欲しい。自分の「心」が育とうとしているのに、無理やり摘むことのないように。切に願う。

と、いつもながら、話が乱文であるが読んで下さりありがとうございましたm(__)m

私と、同じ目に遭う人が一人でも少なく、苦しまなくてすみますように。

二の舞を演じないように。

 

箱庭

本日もこんなくだらない文章を読んでくださり、ありがとうございました。

今日はここまでにします。

ありがとうございましたm(__)m
ではまた。

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