こんなに荒れているままで、記録なんて残して意味はあるのだろうか。
ただただ、読みにくいだけで頭の中や気持ちに余裕のある時に書く方が良いのではないか…とも思うが、申し訳ないですが、このまま今取り敢えず書ける間に書けるだけ書いておこうと思い書かせて頂きますm(__)m
今回のカウンセリング内容ですが、「簡単に〇〇でした」とは言うことができません。
何故なら、何故なら、「カウンセリングを辞める」と、言ったからだ。
「カウンセリングを辞める」と、言ったことは今までで2,3回ある。
でも、段々と本当に辞めようと思う気持ちは増してきているように思う。
殺されたとの怒りが凄まじく、また、一昨日(?)の「天に召された」かと思った出来事が今回「辞める」と言った大きかった原因であるように思うが、もう、これは溜まりに溜まっている感情だろうと思う。
何とか自分の気持ちを繋いで繋いで、「辞める」と言い放ちながらも何とか途切れずに今まで来たけれども、今回本当に終わりかと思った。
カウンセリングの前に、担当医と話し合って「主治医と相談してからにしよう」というような内容だったが、まぁこのような結果でも許容範囲内かと思う。
が、しかし、ここまで本意気で怒れるとは、、、と言った感じだ。
怒れるとは思っていたけれども、こんなに本意気で怒れるなら、もう本当に解離はしにくくなっているのだと思った。
解離がしにくいし、“解離が弱い”という感じである。
いつも、解離が強くなっていると、「まぁ良いわ。また今度言お。」と思うところなのだが(人間このように思う事はほぼ全員思った事はある思うが)、解離が強いと、本当になぁなぁにし過ぎてしまう。
それに、怒っていたとしても、解離をしてしまっていると何に怒っていたのかを忘れてしまい、本当になかなかこんな本意気で怒ることなんて出来ない。
なのに、今日は・・・。
カウンセラーさんは電話越しでかなり泣いていたと思うし、先生も怒りたかっただろうと思う。
お互いにこの言い分が平行線なので、「この人とはこの関係性しか無理」と感じたのだろう。
ただ一つだけが原因ではない、人が反省をしたいところに「好きな事をしろ」と8年間も言い続けたことは、許されることではない。
一人前のカウンセラーさんなんて、私が散々「懺悔をしたい。そのような人生を送りたい。兎に角今までしてはいけない事ばかりして来たので懺悔がしたい」と、言っていたのに、「好きな事をしてください」。
「何故なら、好きな事とは自分の魂に繋がる行為だからです」
と、散々幾度となく、私が意義を唱えてもその度に幾度となく「好きな事をして下さい」と、言われてきた。
「それが解離の治療ですから。」と、言われたらこちらとしては抵抗する力を奪われる。
「意味が分からない」と、何度も何度も何度も「何故好きな事をしないといけないのか?」と、聞いても毎回同じ回答でイライラしてきて、カウンセリングが継続不能になり、3年半お世話になったカウンセラーさん(M先生)とは離れて今のカウンセラーさん(K先生)に5年程お世話になっていたが。
それでも、その先生(K先生)も「好きな事をして下さい」「好きな事をして下さい」って。
それに、このお二方だけではなく、その前に点々とお世話になった事のあるカウンセラーさん(複数人)も、皆、何故かまるで口を揃えたかのように異口同音に同じことを、「好きな事をして下さい」と、言っていた。
この喫緊のお二方以外のその前のカウンセラーさん(A先生)は「なぜ、好きな事をするのかと言うと、今のあなただと、鬱状態にあるのでマラソンを42.195キロ完走することが出来ないのです。ですので、先に好きな事をしてマラソンを完走するためのパワーをまずは付けて下さい」と、言われたこともあった。
もう9年以上前の話になるが、このような経緯があってからの、「好きな事」だったので、私はどうして「好きなこと」と皆口を揃えて言うのか分からなかった。
しかも、2人目の3年半お世話になった先生(M先生)には、カウンセリングに来ているのに、まるで講義でも来ているかのように、大きな白の紙にマジックで書かれてあるその紙を見せられながら、話もされた。
何度も何度も何度も「好きなことをしろ」と。意義を唱えても同じことの繰り返しだった。
そりゃ、切れるわ、と自分自身に対しても思う(本人を目の前に切れることは良い行為ではないが)。そりゃ不満が溜まったままで、素直で建設的なカウンセリングなんて出来る訳がないと思う。
しかし、カウンセリングを診られるか決められる期間がある、カウンセリングの場所もあったのだが、その時私は「診られません」。と断られたことがあった(A先生)。
「重症患者は診れない」というような理由であったがそれが定かかどうかは知る由もない。
しかし、カウンセラーさん(A先生)に断れた後のカウンセラーさん(M先生)だったので、また断られたらどうしようかという思いもあったので少し弱腰だったところもある。
そのような事もあっての、現在である。集大成というのだろうか、この場に及んで(1年ほど前)にやっと私に取って「好きな事」は「皆の言う単なる楽しい」ということではなくて「懺悔したいこと、苦しくても使命的なもの」だと言うことが分かった。
と、やっとこの場(1年程前)から、「方向を間違えました」というように言われ舵取りを急に変えられた。
そこから解離は治る方向に進んで行った。
・・・。
と、言うことは始めから「好きな事」なんて無理やりせなければ良かったんじゃないの?ってことになるし、
もう、8年間も解離をして好きな事をしていたことが死ぬ程許せなくて、「どうして8年間も好きな事をさせたのだ!!!人生を返してくれ!!!人殺し!!!」
と、かなり汚い言葉を使っていた。涙
こちらも、そんな汚い言葉なんて使いたくない。
しかし、「好きな事」をして来た8年間は絶対に許すことが出来ない。
と、まぁ、なんと伝えにくいこと。泣
“懺悔したい”が本当の私の言葉なのに、“好きな事をする”ということは私からすると、懺悔と相反する言葉で、且つ二律背反の関係なのだ。
懺悔したい自分の心があるのに、それを無碍にして無視して好きな事をさせて。
懺悔と好きな事は同時に存在することは出来ないのだ。(>_<)
なのに、(>_<)。。。
もう、本当に恐ろしい。
だから、私に取って愛着障害の私に取って特に懺悔したい自分の心を自分から切り離して捨てて、何とか幾人もの先生に言われて来た「好きな事」を無理やりして来たのだ。
「それが解離の治療だから」
と、言われていたのに、結果「単に好きな事ではなかったm(__)m懺悔です。方向変えます」
って!!!!!!!!!!!
思い出すだけで腹が立つし、切り離してBで何とか今文章を書いていたがAが出てくる程本当の私は怒っている。
もう「怒っている」次元の話ではない。
怒り狂っているし、生命を殺されたと、寝ながら怒るくらい怒りに怒っている。
こんな関係になってしまった現在、今のKカウンセラーさんとはもう加害者と被害者のような関係になってしまった以上、カウンセリングを行うのはここまでなのでは無いかと思い、本日カウンセリングを辞めて他へ移ろうと思っている旨を話した。
一昨日(?)の状況と解離の移行が出来ないA(本当の自分)とB(虚構の自分)との狭間でA(本当の自分)に戻れなくて今にも死んでしまいそうな状態になってしまっている状態を加味し、
「これはもう続けられない」と、思った。
が、現状私は今にも命を落としてしまいそうなの、いつ命が無くなるのか分からない状態なので、退院すら出来ない。
そんな中でカウンセリングを変えることは不可能だろう。
が、現在このような思いを抱いていることを伝え、退院をして、カウンセラーさんを変えられる時期が来たら変えようと真剣に思っている。
このまま、被害者加害者間ではカウンセリング続行は不可能だろう。
今回このような発言をしたが、後悔は全くと言っていい程していない。
このままカウンセリングを変える方向に進むと思われる。
今すぐに、「はい、次回はでは次の先生で」ってことには出来ないがゆっくりでもこのまま他の先生に返るように進めて生きたいと思う。
一昨日(?)「天に召される」体感をしたのはあれが、本当に死を意味するのだろう。
解離の中でも重症だというように医師から言われているが、解離は本当に治療課程で命を落としてしまうことは多々ある。
多々と言っても、解離という病気自体が珍しいものではあるが。
まだまだ、ちゃんと書きたかったけれども、この変で今日は終わりにしておきたい…と、思うけれども、Kカウンセラーさんの気持ち等をこの文に盛り込むことが出来なった。
でも、まぁゼロ(0)よりはマシと思ってこの辺で終わりにしようと思う。
かなり乱文で、乱れに乱れていて意味不明の部分等あるかと思いますが、すみませんm(__)m
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
本日も良き日になりますように。
では、また。