解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

「悪とは何か?善とは何か?」の考察の失敗

最近つくづく思うことなのですが、題名通り「悪とは一体何なのか?」「善とは一体何なのか?」と、感じることが多いので、今回少し記事として書かせて頂こうかと思いました。


私はこの「善と悪」について結構昔から考えていることなのですが、今この年齢になってもまだモヤモヤしたままです。


「善とは?」という問いと、「悪とは?」という問いはどちらの方が答え易いとかってありますか?

 

 

私自身「善」の方が定義がまだし易いように感じていて「悪」って難しいな…と、思っていたのですが、皆さんはどうでしょう。


でも、先ほど携帯で「悪とは」と、検索をすると、何かニーチェとか色々出てきそうだったので、また時間のある時にゆっくりと携帯を見ることにして、今私の頭だけにあるもので色々と簡単に考察というか、思いめぐらさてみようと思う。



そして、この「善とは何か?悪とは何か?」と問いについては、また日を新たにしてじっくりと考えていきたいと思う。


今回はさらっと今思い浮かぶものだけ思いめぐられてみようかと思う。


私の中で「善とは何か?」の方がまだ提議しやすい(答え易い)、と言ったのは、本当に何となくですが、「善」ってまだ分かり易そうじゃないですか?

 

 

しかし「善とは何か?」、「善とは一体何なのか」という問いの投げかけって私に取って少し違って感じていて、“一体”とつく方が、より具体的に問いを突き詰めているように感じるのですね。


私だけかもしれないので、これから先の簡単な考察部分に関してもあくまで私見ということにしておいて頂きたいですが…。


頭の弱い私なんかの考えは話にならないとは思いますが、どうぞお柔らかにお願いします。。。

 

と、いうことで一番簡単そうな、「善とは何か?」について少し考察してみたいのですが、「善」とは、「良いとすることや、またその行動」だと思うですが、この「良いや善」ということは・・・

 

 

と、思って書いていこうとしたのですが、「善とは一体何か?」と「一体」と付けなくても、善も結構難しいですね。

 

スマホを読んで困る女性


今書いていて思いました。


どこで、「善」も難しいかと感じたかというと、数年前から現在に至るまで思っていたことなのですが、私の祖母は今年の10月の頭に天国へと旅立ってしまったのですが、その祖母が亡くなる前に病院にいたのですが、病院に居る前は自宅に居て。3年程前はまだ自宅で過ごせていたのですが、自で血尿が出てからその後はもう自宅に戻ることが出来なくて。


その祖母は、ずっと自宅に帰りたいと言っていました。


排尿を自分ですることが出来なくなり、管を通したので、寝たきりの祖母は自宅に帰るとその管があるので、「寝返りを打たないといけないので、介護の人は24時間付きっ切りの状態になってしまう」ということと、「その寝返りの際にも、管に菌が付いてしまうと、そこから死を招いてしまう」

 

と、いうことから自宅で、看れなくもないがかなり大変だということで、祖母は「家に帰りたい!」と、言っていたのに、延命する方を選んで、家には帰さずにもう病院に入っていて貰ったのです。


祖母は初めの頃、私にずっと「家に帰りたい」と言っていました。


親族の意見がほぼ決め手で、病院で診て貰うという選択になりましたが、私も断腸の思いで病院に診て貰う選択をしたので、本当に「帰りたい」と言われる度に、申し訳なさ過ぎて叶えてあげられなくて、毎回泣きそうになっていました。


その時に、私は「自分の取った行為ってあっていたのだろうか?」と、ずっと考えていましたし、祖母がいなくなってからも、今でも「あの時の決断は本当に祖母に取って良かったのだろうか?」と、考えてしまします。


なので、このことがあったから、先ほど「善について」は簡単そうと思ったのですが、何が善だか、一瞬にして分からなくなってしまいました。


「善」って「良かれと思った行動なら8割型良い行動なんじゃない?」と「一体何か」のように“一体”と突き詰めなければ、結構簡単なのではないかと感覚として思っていたのですが…。

 

 

まさか、一瞬にしてその思いは砕けさってしまった。

 

真剣に考える女性



そうですよね。


子育てとかでも、皆親は「良かれと思ってやった」とか言いますしね。


「良かれと思っても」過保護だの、愛情不足だの過干渉だのなんだのかんだのと、言いますしね…。


私はまだ未婚で子育て経験はありませんが、この問いも良く耳にしますしね。


本当ですね。「良かれと思った行動」でも、私が祖母にした行為って、明らかに祖母は望んでいなかった訳ですからね。


付きっ切りの介護も私の両親はまだ働かせて貰っているので、「仕事を辞めないといけない」ということはあったにしても、犠牲になったのはそれくらいで…。


体力的に厳しくても、一度やってみるだけ家に帰してあげたら良かった。


一度だけでもやってみてからにしたらよかった。


そんな思い、今もします。


苦しまずに済んだのにな…。


私は祖母の意見を尊重してあげたかったから家に帰してあげたかった。けれど、親族も皆無理だと言った。けど、そこでも私ももっともっと強く祖母の思いに寄り添って祖母の味方でいてあげたら良かったのに…。

 

 

っと、少し感傷的になってしまいましたが、とにかく“良かれ”と思った行動は8割良い行動なんじゃない?なんて思っていたけれども、引き返すことが出来ない程、間違いを犯してしまう行動に繋がってしまうこともあるのですね。


大体「良かれ」と思った行動なら「良い要素」は沢山あるだろうと、思っていましたが、大間違いでしたね。


本人に取って、全く望んでも無かったことになることもあるのですね。「少しの要素も良い所なんてない」こともあるのですね。


書きながら、とんでもない所に着地してしまってどうしようという感じです。(;^_^A

 

すみません。

 

薄暗い雰囲気の山道


今回は全く「善悪」についての考察は出来ずに、感傷的になってしまって終わってしまいました。すみませんm(__)m

 

後、今思い出してしまいましたが、本当に「良かれと思った行動」でも、それは「命に関わる程の間違えた行動」であることもありますね私自身経験していました。

 

その内容はまた今度機会があれば、どんな事なのかも書きたいと思いますm(_ _)m

 


何とも言えない記事になってしまいすみませんでしたm(_ _)m

 

お忙しい中読んで下さりありがとうございましたm(__)m

 

子どもがジャンプする写真 シャボン玉付き

 

本日も皆様にとって素敵な日となりますように☆