解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

昨日のカウンセリング内容の追記&その後の経過

昨日、カウンセリングの内容を記事に残しておいたのですが、書き忘れていたことがあったので、追記しておこうと思います。そして、昨日のカウンセリング後どようになったか珍しく良くも悪くも変化があったので、記しておこうと思います。

 

【昨日の書き忘れた内容】

①「安心することをして下さい」と言われたこと

②「祖先の罪の意識まで背負っている」と言われたこと

③「罪の意識から潰されて死にそうだ」と言ったこと

 

 

大体この三点位を書き忘れたと思っていたのですが、まず①から見ていくと、私は普段解離をしていると、何をしていたら良いのか分からないし(世界や人生が消える為)、現在働けていないので日中何をしていたら良いのか分からなくて、①の話をカウンセラーさんに聞きました。

 

 

そして、それに対して返って来た言葉が、「安心することをして下さい」と言われたのでした。

 

 

解離をしていると、ベースとして起こってしまうのが、「解離をしていない時の自分は、解離をしている時の自分の行動が兎にも角にも許せない」ということが起こってしまっていて、「解離をしている」というだけで、本当の状態(例えばA)が生きたかったのに、解離してしまっていると(例えばBの状態)AはBに人生を奪われたと思って、「生きていない」「A(解離していない本当の自分) が生きる時間をB(解離している自分)に人勢を奪われたと感じてしまって、とにかく「生きていない」と、泣き叫び命を絶とうとしてしまうのです。

 

 

なので、B(解離している状態)であっても、極力A(解離していない自分)が許せるような日々を送らないといけないわ訳で…。

 

ボードと山と川

そのようないきさつがあるので、「どのような事をしていたら良いのか」ということをカウンセラーさんに聞いたのでした。

 

 

今回のカウンセリングだけではなく、結構頻繁にこの問は問うているのですが返って来た返事の「安心する事をして下さい」ということは、こんなに直球に「安心すること」と言われたのは初めてだったので気になっていたので、記録として残しておこうと思った次第です。

 

それと、この「安心すること」は結構私の中でキーポイントとなっているキーワードのように感じていて、「愛着障害」から見ても「安心する土台の形成が弱い」とか頻繁にこのワードが出て来ているように感じるし、「ホッとすること」とか「安心すること」って、「意識を越えていて無意識に心が求めているんだろうな」と思っていたのでやっぱり今の私にも必要なんだ、この局面に来てまで「安心すること」が大切な目印となるのだと思い、それほどまでに「安心すること」という軸は大切なんだと改めて思いまして。

 

 

理性で考えても分からない時も心に従った方が良い時ありますもんね。

 

 

人間は「大層偉い生き物」と見せかけておいて、言ってもただの動物の一種でしかないですからね。頭でっかちになって動けないより、心が「安心するもの」を探して「ホッとすること」を探していこうと思う。

 

貝殻と波が打ち寄せて来ている波打ち際

 

長くなってしまいましたが、続いては②の「祖先の罪まで背負っている」と言われたことでは、③からの派生のような気がするのですが、これは私が今にも死にそうなっているので、自分で自分の罪に潰されて今にも解離をしないと死んでしまうので、私が死なない為に言ってくれている言葉だと思うのですが、

 

 

人間ってどこまでが自分の考えで、何が自分を成しているのか(構成しているのか)分からない所がありますよね。

 

 

昔からの言い伝えだとか、家訓とか遺訓とか、知らぬ間に教わったこととか…誰かの思いとか…、いつからか自分の内に刷り込まれていて、一体どこからが自分のものか分けられない部分ってあると思うのですが、この部分に「先祖が感じていたであろう罪の意識」が私も知らず知らずのうちに背負ってしまっているというのです。

 

 

自分では全く意識したことが無かったですが、私の父方の祖父は「田畑を売って都会に出て来た」といういことがあるので、時代が時代で生きていく為に都市部に働きに行くといういことが大半の時代だったので致し方ないけでも、先祖代々続く土地を事業をするために田畑を売ったというのはあまり良い印象は確かに受けていなかったり、

 

 

その祖父のしていた事業を私が継がないといけないと思っていたりと、罪とまで思っているのかは分かりませんが、何か感じる部分はあるなとは思うけれども、だからと言って、自分のこれまでのろくでもない人生を許す訳にもいかないのですけどね。

 

しずくの中にオレンジの花

でも、とにかくカウンセラーさんは言っていたのでそのまま記録しておこうと。

 

 

 

 

そして、③に「罪の意識から潰されて死にそうだ」と私が言ったのは、本当のそんままの状態なので、カウンセラーさんにも言ったという感じなのですが、これは今に始まった訳ではなく、「罪の意識から潰されて死にそう」で自宅ではもう過ごせないから、命が無くなってしまうから現在入院しているのですが。

 

 

でも、この今入院している病院は“急性期病院”と言って症状が出ている時に入院する病院なので、大体3、4カ月で症状が安定する人が多いので、その位で退院するようになっているで、私ももう少しで入院して4ヵ月になるので、転院ではないのであれば、退院のことも考えていかないといけないので、罪の意識をどうにかしたいと思って、昨日カウンセラーさんに言ったという感じです。

 

 

どうにか自宅で過ごせるようにならないといけないのですが、なかなか…。年明けに退院しないといけないので、退院をしてもまた再入院になるだろうけれども、少しでも自宅で過ごせる期間が延ばせるようにしていかないといけないと、切迫してきている感じです。

 

 

そして、かなり、駄文になってしまっていますが、【昨日のカウンセリングのその後】とういことで、いつもだとカウンセリングの翌日に何か起こるということはないのですが、今回は珍しく、カウンセリング明けの、本日、かなり体調に変化があり、点と点が繋がって線みたいになっているという部分からきているものなんだろうけれども、

 

 

過去が段々と現れてきて、点だったのが僅かでも線になったことによって、ほんの少し継続して過去を捉えることが出来てきているので、相当苦しめられているのだと、そのように思っています。

 

 

「これは自殺する、地獄、これから先、生きていけない」等苦しくて苦しくて、久しぶりにベットから起き上がる気力が無くて、うなだれていました。

 

 

解離で、過去も空っぽに感じているのに、それが現れてくるとなると(しかも線で)、現実を突きつけられて来ているように感じて苦しくて苦しくて、本当にこの人生生きていけないな、と。解離をしていないと、人生こんなにも恐ろしいことになっているのかと、死ぬ程苦しくて泣き喚きたくて、人生を終わらせたくて(>_<)

 

 

途中で寝てしまい、更に自己嫌悪も出て来て、もう危なさ過ぎると、自分の人生が怖くて堪らないのと、人生を潰されて本当に恐ろしすぎるのと。

 

 

後悔でしかないけれども、これから何とか、どうにか生きていく道を探って行かないといけないと思うし、河合隼雄氏の著書で「生きるとは自分の物語をつくること」という本があるように、私自身も、自分の人生の物語を、再度練り直さないといけないな、と焦りながら、必死で考えています。

 

二輪のオレンジの花

 

この変化は、昨日のカウンセリングの影響だとしか思えないので、記録しておこうと思い【その後の経過】ということで書かせていただきました。

 

 

何とも脈絡のない分かりにくい文でいつも申し訳ないのですが、この辺りで今日は終わりにしようと思います。

 

ありがとうございましたm(__)m

 

空に向かってピンクのボールを付け上げる

本日も皆様にとって良い日になりますように☆