本日は連休明けですがいかがお過ごしでしょうか?
仕事が溜まっていて忙殺されているのでしょうか?
正月のなまけから体もついて来なくて大変かもしれませんが、少しずつアクセルを踏んで無理せず参りましょう!☆
「本日の解離性障害」
本日も朝から暴れそうになったりしていた。過去を思い出しては泣き暴れ。
ウォーキングをしながら涙拭き。
自分の感情に潰されて焼死して一人で死んでしまうのかと思う。
今も兄のメールを読めていない。
本当に苦しいものだ。
もっと、自分に起こっている現象を言葉に出来たら良いのに…と思ってしまう。
短歌の練習何かをしてみたい。
また近々、短歌についても調べてみようと思う。
それにしても、退院の話になると大変。帰ろうかと言った瞬間涙が出てくる。
本当に辛い。それに、今日は頭が痛い。脳みそがギューッとしている。
すぐに暴れそうになるし大変だ。
午後からPSWさんと
後、お昼からPSWさんが来てくれるので、訪問看護のこととカウンセリングのことを聞こうかと思う。ついでにセカンドオピニオンの解離の病院のことも聞こうかな。
入院している状態だと解離している自分(B:虚構の自分)で、退院をして実家で過ごすと本当の自分(A:本当の自分)に変わるので、訪問看護のことなど、入院中に決めてしまうと、B(虚構の自分)が良くても、A(本当の自分)が納得するか分からないから決断等はするのが怖い。自宅に帰ってからA(本当の自分)が、決めて欲しいと思う。
本日の状態(追記)
過去のことを思い出すとすぐに衝動性に突き動かされて暴れそうになる。人生を潰された怒りが相当凄まじい。以前の入院では「一軒屋を3000個壊してもまだ怒りが収まらない」と、言っていたような気がするので、怒りは潜在意識に入ってしまっているだけで、普段は表面化しないけれど、相当大変な怒りがあると思う。
「何とかしないと」とは思っているけれども、「何か出来る」レベルの話ではないのかと思ったりする。もう本当に何でこんなに恐ろしい人生になってしまっているのか。
何でこんな目に合わないといけないのか、といつも思う。
苦し過ぎて耐えられない。
怒りについて
って、今「怒り」について一人考察していたが、「三毒、手放せ」という意見が多いが、正しい怒りもあるというような意見もあり、上手く「昇華」させることが、エネルギーの使い方として正しいようだ。と、私は自分なりに解釈した。
カウンセラーさんにも、「怒りは私を支えてくるものとなる」と、言われていたが、怒りの難しさに困惑していた。
「カウンセラーさん、あなたに言われたくないよ(>_<)」と思っていた(カウンセラーさんの“無知”、“無責任“が故に解離が余計に酷くなっているからであるから)。
そして「怒りを手放せ」と世間では言われるし、怒りを邪魔なものとしたりする。
「怒りを敵と思え」は、徳川家康が放った言葉であるし、仏教でさえ「怒りは三毒」とわざわざ毒として取り上げられている。
そして、私はこの「怒り」について自分を納得させる名言を探していた。
その中で、ガンジーの名言に目が留まった。「怒りは酸のようなもので、注ぐものにも増して、その器に大きな害を与える」というものもあるが、私が目に留まったものは「私は、苦い経験を通じて、最高の教訓をひとつ学んだ。怒りをコントロールするということだ。蓄えられた熱がエネルギーに変わるように、抑制された怒りを、世界を動かす力に変えることができる」と、言った名言である。
怒りは“悪”と、見なされることが多いなか、励ましてくれた名言である。
怒りを誰かにぶつけることはいけないことだとは思う。
でも、この抱いてしまった怒りはどうしたら良いのかずっと悩んでいた。
「手放せ」なんて言われて手放せるものなんかではない。
例えば、自分の大切な人が誰かに殺されたら、怒らずに済むだろうか?
そんな簡単に、怒りが静まるとは思えない。
そんな怒りを「手放せ」ってどのようにして。「どうしたら手放せるのか教えてよ」、とずっと思っていた。「6秒間我慢したら怒りのピークは消える」とかアンガーマネジメントなんて名があるくらいだから、なおさら私の抱えている怒りはどうにか消そう消そうとしていた。
でも、今日ガンジーの「私は、苦い経験を通じて、最高の教訓をひとつ学んだ。怒りをコントロールするということだ。蓄えられた熱がエネルギーに変わるように、抑制された怒りを、世界を動かす力に変えることができる。」と、言った名言である。
怒りに対しての名言
その他、
・「『負けてたまるか』という怒りの感情が原動力になる。」~羽生結弦~
・「怒りは、時に大きな革新のエネルギーとなる」~孫正義~
・「怒れ 許せないという強く純粋な怒りは 手足を動かすための揺るぎない原動力となる」~富岡義勇・第1話「残酷」~
などがある。
私は怒りに対して、どのように扱えば良いのかいつも一人途方に暮れていた。でも、この人達のように、どれだけ世間が「怒りは悪」ということを言っていても自分の感覚を信じて上手く怒りを昇華している人も居る。
自分が情けなくなった一方で、ずーっと手放したくても手放せない怒りを、持っていても良いと言われたような気がして救われた。
発散ではなく上手く昇華するようにはしたい。
でも、今日は「怒りを取り敢えずは絶対悪」と定義付けていない人に救われた。
これから、どのように、今私が抱いている怒りのエネルギーを使うかはしっかり目的を定めないといけない、考えないといけないと思うが取り敢えず安心した。
怒りを手放せなくて一人で困っていたから。
私のこの怒りをどこを正すためのエネルギーに使おうか。
この本にも、「革命」などのように、世を動かすエネルギーも怒りだというようなことが書かれてある。“世を正す為“に使われるのは良いというようなことが。(革命にも正しいものとそうではないものがあるが)。
セネカも『怒りについて』で怒りの怖さを述べている。
ですが、自分の感覚を信じて「手放す」ではなく、上手く怒りを「昇華」していこうと思う。
それにしても、ガンジーの名言には心打たれるものが多かった。
苦闘の多い日々だったからなのか、実体験で経験したことを世に残してくれて本当に有難い。
当分「ガンジーの名言」に私ははまりそうだ。
怒りを破壊ではなく、創造や革新に使いたい。
本日もご一読下さり有難うございましたm(__)m
本日も皆様に取って日になりますように☆