解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

12/13(火)カウンセリング内容

本日も11時からカウンセリングを行った。入院中の為電話カウンセリングだった。

 

 

今日はカウンセリング始まる前から「もうカウンセリングしたくない」と、カウンセリングがとても億劫で乗り気ではなかった。

 

 

何年間カウンセリングしてるんだろう。どうして良くならないのだろう…もう8年以上もカウンセリングをしているのに何故?ともう懐疑心もいいところだった。

 

 

 

 

何だよカウンセリングって!と腹が立っていたようにも思う。

 

 

しかしカウンセリングが始まると結構普通に話をしていた。

 

 

カウンセリングが嫌になっている事などは話したが、それ以外の話はいつもと変わらないなんてこともないカウンセリングだった。

 

 

今は特段変わった夢を見たりしない限り“対話形式”でカウンセリングを行っている。

 

目頭を押さえて今にも泣きそうな女性

 

解離の怖さなんかを今日はこんこんと話をした。

 

 

「8年間が10日位に感じる」とか「解離解離」と言うけれど、解離しているということがどれ程恐ろしく死ぬ程怖いものなのか、何にも分かっていない…等話をしてしまったが、先生も話を私と共有する為にも“解離”という言葉を使わざるを得ないということ等反論していた。

 

 

解離と言う言葉を使わないとカウンセリングが進まないことも良く分かるので“解離”という言葉を使って良いと言ったが私も解離と言われている時とても怖い、空恐ろしい感じがしている事等を伝えておいた。

 

 

何とも皮肉な事だけれども、カウンセリングをして私は再び解離をしたと思っているので、「今から8年前に戻りたい」とかずっとそのようなことでこの一週間苦しんでいたこと等も話した。

 

 

言葉が思い浮かばないので残酷な言葉だと思うけれども「カウンセリングで更に殺されたと思っている」ということ等を話した。

 

 

そして、カウンセラーさんに、8年間も当たり前のように今は週一でカウンセリングをしていることなんかについて一体どう思っているのか?等の話もした。カウンセラーさんは「解離はこの位時間が掛かるものだから特別時間が掛かっているとは思っていない」ということだった。

 

今のカウンセラーさんとは5年位になるが、解離がこれ程時間の掛かるものとは本当に恐ろしい。

 

それ位慎重に進めないと危険な事は分かっているが、こんなにも人生を潰されて、大事な時期を“闘病期間”で過ぎていってしまって、虚しくて何よりも恐ろしくて、怖くて怖くて堪らない。

 

 

時間が積み重なっていかないので、8年間が10日程にしか感じられないということも、有り得ない話だけれども、私の中では起こっている。どうしてこのようになるのか(>_<)カウンセラーさんは「防衛本能で命を守る為」と言っているが、そんなの私からすると知らないし、解離したくないし(>_<)

 

もう、こんなに恐ろしい病気なんてこの世にあるのだろうか。有り得ない事が起こっていて、頭が壊れそうになるのも当然のことだと思う。当たり前だと思う。

 

青黒く不気味で変な模様の画像



 

 

こんなにも怖いことが起こっているのに、入院していると他の患者さんとすれ違うことがあるが、「元気そうなのにね」「どこが悪いのか分からない」とか散々言われる。

 

 

 

 

そして毎日検温や血圧を測ったり、薬を貰ったりする時に看護師とも話をするが、死ぬ程怖い思いをしているのとは裏腹にたわいもない話をしている。

 

 

「死ぬ程恐ろしい」とは言えても、それ以上を表現する術を私は知らない。「死ぬ程恐ろしい」以外に見当たる言葉がない。

 

 

もう本当に恐ろしい。

 

 

この恐ろしさは、完全に解離をしていた7年間はあまり感じていなかったように思う。解離が治って来るにつれ、「解離をしている世界」と「解離をしていない世界」が現れた辺りから段々と怖くなって来たように感じる。

 

 

空っぽだったから、「怖い」とすら感じることも出来なったのに、今は完全に解離は治っていなくても、空っぽではなく「点」はある状態なので、怖さを感じる。

 

 

 

 

どうして「点」が怖さを感じるのかを上手くは表現出来ないけれども、無というのと有というのは違う。

 

解離が段々治る方向に進んで来てはいるけれど、未だに無としか感じられない時も普通にある。

 

 

特に朝起きたては無の状態になっている時が多いように感じる。

 

 

その他でも、無の状態は頻繁に私を覆っているが、最近は有の状態で、「何かを感じる」ということが少しだけ出来ているように感じる。でも、それは何千分の一とかであるのでけろっと治っている訳ではない。

 

 

しかし、有の状態だと、怖さをかなり感じる。もう怖く怖く堪らない。主治医にも解離の話をするが、同様に「死ぬ程恐ろしい」としか表現出来ていない。

 

 

息が出来なくて、苦しめられている状況等は主治医も診ているし何よりも8年間以上も診てくれているので変遷は見て知ってくれている。

 

 

今までも壮絶な過去で、解離の治療を命がけで行って来たし、何度も死ぬかと思う状態に襲われてきた。

 

 

そして、何よりも解離を患っている人は居ても、そのうち、治療をきちんとして治そうとしている人は一握りのように感じるので、いつも未知の世界を一人さ迷って来たように感じる。

 

 

 

 

専門書等にも私の治療課程を丸々同じように書いてくれている訳では全くない。

 

 

何だったら、「解離と共存して生きていく」という方にベクトルが向いているものもあるし、実際に解離を治すのはとても危険な行為なんだと思う。

 

 

本当に今でも、頭が狂って死んでしまうかと思う程怖さを抱えている。

 

 

そして、本日のカウンセリングでまた少し進んだと思うことがある。

 

 

 

 

それは、過去のどこかの部分と点と点が繋がっているような気がする点だ。

 

 

カウンセリングをしても、変化があったと思う日はごく僅かだけれども、今回のカウンセリングは何か進展しているように感じる。

 

 

どこの部分の点と点なのかは全く分からないけれども、空っぽな状態だったのが、どこかとどこかが私の中で繋がっているように感じる。

 

 

世界も空っぽの真っ白の時間軸も人生も継続している感覚も全く何もない、途切れ途切れの世界だったのが、わずかでも短くてもどの部分か分からなくても、何か線で繋がって居そうな気がする。

 

 

この体感はいつまで続くのか分からないが、今日のカウンセリングが終わってから何かこの様に感じている。

 

 

「繋がりを持てなくする」「バラバラにする」ことが私の「解離であり」手で砂を掴んでもスルスルと滑り落ちていくというか、私が解離になった中盤の頃は、「網戸に自分が通過していく感じ」と表現していたが、兎にも角にも、“バラバラに感じる”ということだった。

 

 

これが、私の解離で、世界をバラバラにすることで継続させないことで何とか自分を保っていると言われて来ている。

 

 

バラバラにすることで自分を保ってきているのに、「何かどこの部分か分からないが、線で繋がった感じがする」と言う事は、やはり解離が治りかけてきているということだろう。

 

 

その他にも、色々と治療的に進んできていると思う部分は今までにもあったのだけども、今回もその一つに含まれる。

 

 

いつまでわずかながら“線”の状態で居られるのか分からないが、この調子で治っていってくれたらと思うが、怖すぎてもう終わりにしたい…とも思ってしまう。

 

 

折角ここまで来たのだから、力み過ぎず気長に構えて今後も治療を進めていく。

 

 

後、今日カウンセラーさんから、年末年始は昨年同様、病院がどこも閉まっている状態だと、危険なことがあったら対応しかねるから、入院していて欲しいとのことだった。

 

 

私は今年は年末年始実家に帰省して、親族で少しワイワイと楽しみたかったのに、残念でならないけれど、実際に今でも自分で自分の首を絞めているし、自分で首を閉めなくても、首が絞まっているかのようにくるしくなったりするし、破壊衝動が過ごすぎてどうにかなりそうだったり、勢い余って飛び降りてもいけないし、頭狂って耐えられなくて危険な行為を取ってしまってもいけないし。

 

 

命が無くなる危険を思うと、今年の年末年始も病院で過ごす事致し方ないかな、と思う。

 

 

長くなりましたし、過激な表現をしてしまい申し訳ございませんm(__)m

 

出来るだけありのままを残しておきたくて…

すみませんm(__)m

 

上下対称になっているかのように水面に反射している大と海

 

読んでくださりありがとうございましたm(__)m