解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

動揺…。からの考察。解離になった動機。

今までで、私が解離性障害で入院したのは大体6回位だと思う。


解離性障害になって始めのカウンセラーさんの時は一度も入院していないので(治療を始めて初めの3年半は入院していない)、治療を始めてから大体4年位経ってから初めの1回目の入院をしたと思う。


その時は緊張していたので、とても静かであったが、同じ病院に3回目位してから大分慣れて来てしまって段々と顔見知りの人とかも出て来た。


4回目以降はもうかなり慣れて来たとは思う。





この病院は精神科の急性期病院ということで、大体最長で約3、4カ月の滞在でその後は退院するか、別の病院か施設への転院することとなっている。


なので、この“急性期病院”は症状が出て来ている時(あまり落ち着いていない時)に入院してくる病院なので、結構あれた状態の人を見ることがある。



特に、ここは急性期病院であり、大学病院でもあるのでかなり興奮している人は興奮している。“興奮”というか“荒れている”と言って良いかと思う。


そして、今もかなり荒れている人が入院して来た。


女性の方だけど、かなり大声を出して泣き叫んでいる。


喉が渇いているようで、「水頂戴!!!!」とかなり泣き叫んでいる。


別の患者さんの事なので、プライバシーに関わる事なのであまり詳しくは書けないが、兎に角私は何か大きな声や音がすると、必要以上にこちらがとても怖くなって困惑してしまう。


別の患者さんとか、当たり前のように普通にしているが、私がもう心臓がドキドキして、怖く怖くて仕方がなくなっていてもたっても居られなくなる。


よく普通にして居られるなと思って」、私は別の患者に「怖くないの」と聞いたことがあるが、その人はとても冷静に「まぁ、怖いよね」と言ってた。


よくそんなに冷静に居れるなと、私は自分の動揺っぷりが情けなった時があった。そして今でもそうだ。


こんなにも泣きながら怒りながら「水水水!!!水頂戴!!!死にそうや!!!水水水!!!」と大声で叫ばれたらドキドキするししんどくなる(>_<)

 


看護師さんも早く水をあげたら良いのに…と思ってしまう。何があって水をこんなにもあげないのだろうか?詳細は全く分からないが、私まで怖くなって心臓に悪いから早く水をあげて欲しい(>_<)


もう、大分入院には慣れて来ているとは言えこのように大きな声や音がすると、私の神経がもたない。苦しくなる。あードキドキし涙。


今回の入院はこのように大きな声や音がすることがかなり多かった。


壁をドンドンドンドンと叩いたり、泣け叫んだり歌を大きな声で歌ったり…。

 

 

先生方の緊急な時に駆け付けの要請時に音楽が流れるのだけれども、今回2回その音楽を聴いた。今まで聴いたことが一度も無かったから、その時もかなり私は動揺をしていた。


大学病院なので、先生が何十人と居たであろう。一部屋の一人の患者さんの為だけに皆先生方が集まって、看護師の方が「○○さん!○○さん!聞こえますか!○○さん!」と、かなり大きな張り詰めた緊迫感のある声で叫んでいた。 

 

 

意識不明となってしまったようだったが、一命は取り留めたとのことだった。


2回目のコールは何だったのかは分からないが、もう普通に怖いよ。


緊急用の音楽はとても和やかな音楽だったが、先生方が一気に押し寄せてくるのでその音楽とはうらはらすぎるほど、私の心はそんな音楽で落ち着くはずがない。


怖く堪らなかった。


大学病院の精神科にいると色んなことがあるのですね。


今もまだ「帰りたい!!!」と泣きわめいているので、お水は貰えたんだろうけどまだまだ落ち着きそうにありません。


泣き叫んでいる人がいれば私の心もその人が落ち着くまで落ち着きそうにありません。

疑問を持つ女性


何について怒っているのだろうか?兎に角もう帰りたいたしい。


ずっと入院していたいという人もいるけど、そりゃ帰りたいよね。


可哀そうに。早く落ち着きますように。。。


ちょっと私の今の心境でした。


関係なくても怖いです。


どうでも良い話を失礼しましたm(__)m


読んで下さりありがとうございましたm(__)m

巨木と晴れやかな景色



と、終わろうと思ったのですが、少しここで「そういえば私って本当に人一倍怖がりなんだよな…」と思ったのでここで少し考察したことも書いておこうと思います。


この「怖がり」というのは本当に昔から起こる現象で、普通の人なら「怖い」で済むところが、私の場合「もう、怖くて怖くて居てもたっても居られない(>_<)!!」と、なってしまうのです。



どうしてこのように私だけ、こんなにも人一倍怖がり何だろう?と実は今回だけではなく、人生、今まで何度も何ども考えて来た。


そして、この「怖さ」は幼少期からの私の全ての原動力であったのだと思われる。


幼稚園の頃は幼稚園に行くのは行けるけども、幼稚園のクラスには入られなかった。それは兄が幼稚園までは一緒に居たからそれ程怖くはなかった。しかし、クラスに入るのは兄がいなくなると怖くて入れなかった。


なので、私は幼稚園始まって1カ月間かな?それ位の頃は兄の年長さんのクラスに兄と一緒過ごさせて貰ったりしていた。

不安


それ位私は、昔から怖がりだった。

 

 

そして、先に書きましたように、気が付けば「怖さ」が私の原動力となっており、小学4年生の頃も、国語の成績がクラスの半分以下になったことで私の「怖い発動」が発動してしまい、親からは一切勉強について何も言われていなかったのに、自分から親に「塾に行かせて」と、お願いをした。


そこから、高校生の途中まで塾に通うようになったのですが、そのくらい、私の動機って「怖かったから」という動機で動いてしまうことが多々あるのです。


というよりも、この「人一倍の怖がり」によって、私は人生を潰したと思っています。


端的に言うと、怖い環境だったから、怖い人と付き合い、身を守ってもらう事で何とか過ごし、過ごしていると思っている環境は初めの頃よりも更に怖い環境にどんどんと身を置く羽目になってしまって。。。

 

 

高校生の頃も「この学校怖いな」から始まって、付き合っていく人も、どんどんと怖い人がが増え、そこでも怖くなると、さらに虚勢を張るように更に強がって派手は格好をしていくと、更に私を取り囲む環境は更に怖い環境になっていってしまって。。。

 

 

気が付くともう身を引けないような状態が繰り広げられていて…。


私は「強いから強そう環境に入る」のはなく、ただ単に「怖いから強がって強い環境に入る」。


何か言葉にすると、少し変な気がするけれども、私がこんな人生を歩んでしまい、解離になったのも全ての動機は「怖いから」というもの。


そして、その「人一倍の怖さ」は愛着障害が故に起っている。


安全基地と言われるところが私は薄すぎた。


兄や祖父祖母が居たけれども、完全に安全基地と言えるものではなかったと思う。


なんでもかんでも簡単に障害に括るのは良くないと思うので「愛着が薄かった」ということにしておく」。


カウンセラーからも散々言われている。


私に取って「怖さ」は人生を潰すほど強力なものであった。

 

 

と、長くなってしまいましたが、この辺で終わりにさせて頂きます。

 

紅葉の始まり

今日もありがとうございましたm(__)m

 

では、また。