今日は朝から首絞めが始まっていた。
6時半頃から自分で自分の首を無意識のうちに首を絞めている感じだ。
「自分で自分に殺されそう」というのは、今回の入院前に、かなり頻繁にあって本当に自分はこのままだと死んでしまうと思ったので入院した。
なので今に始まった首絞ではない。
でも、久しぶりにやって来た。
首を絞めることは何から起点になっているのかというと、「自分自身への罪の意識から」だ。「自分自身の人生をしっかりと生きることが出来なかったので、“命への冒涜”」と言う感じでもう無意識レベルで首をしめている。
しかし、自宅に居た時の方が首絞めの力がかなり強く、入院中の現在では力の下限は少しだけマシだった気がする。
それでも、ずーっと首が絞まっていると、本当に自分で自分が殺される、このままでは死ぬと思ったので、「この罪の意識を何とか出来ないか?」と、首が絞まりながら考えていた。
「罪の消滅は首絞以外に何かないのか?」そんなことを考えていた。
「この首を絞める力を他に転嫁出来ないかな?」と、ずーっと考えていた。すると、不意に「以前感心のあった保育関係の本が読みたい」と思った。
でも、入院中で、手元にはなかったので、世界史ならあったので世界史関連の本を読んでみた。
それだと、自分の娯楽の意識が強く、罪滅ぼしの力を世界史の本で代替することは出来なかった。
新聞を借りて来た。すると、少しマシになった。
私が知る事で誰かの役に立ちそうな内容であったら、特に罪の意識は和らいだように感じた。
今回の出来事は私にとっては良い収穫だった。
しかし、次の問題が出て来た。「ずーっと新聞等を読んでおかないと苦しくなる」ということだ。正直朝から暴れまくっていたので、もう身体共にヘトヘトなのに、長時間読み続けることはもうしんどすぎる。
今は酸欠の状態でこのブログを書いてみたが、まだ何となく苦しい。でも、大分紛れているようにも感じる。
「罪の意識を減らす」これに成功しないと、私は自分で自分を殺してしまうと思う。
なかなか大変なことになっているな、と改めて思う。
「罪を減らす」って「罪を許す」ことも含まれるかと思うが、なかなか罪を許すなんてそんな簡単に出来る話ではない。
今日は朝から絞首し続けられていたので、もう力尽きた。
神経はまだ高ぶっているし、精神も落ち着かない。
兄とは退院の話もしていたけれでも、それどころじゃないような気もする。ダメなら再入院ありきで考えていたけれども、どうしようかな。
入院していると、携帯の使用時間が決まっているし、読みたい本もなかなか手物にないので、自宅の方がその面では良いと思うが…。
今でも、首は絞まっていないのに、何だか首が絞まってるような感覚で苦しいしな…。
今日は主治医回診の日なのでまぁ相談してみようかな。
今日は朝から荒れた内容を失礼しましたm(__)m
出来るだけ、解離性障害の生の声を残しておきたいと思っているので、随時このブログにでも書けたら書こうと思っている。
どうぞよろしくお願いしますm(__)m
今も苦しいのどうにかならないかな…。先ほど頓服で「ロラゼパム」って薬を飲んだんだけど…。いつも息苦しい時は基本的にロラゼパム。
何とな~く聞いているような気もするし、気の持ちようの気もする。
兎に角もう少し楽になりたいな。
ありがとうございましたm(__)m