解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

本日(2022.12.6)、カウンセリング内容

本日のカウンセリング内容。

 

本日も、入院中の為、電話にてカウンセリングを50分間行う。

 

本日のカウンセリングは

 

①私がどのように社会と接点を持っていくか(ブログについて等)

 

②退院やOTを医師から提案されている旨伝える

 

 

 

 

等、本日はかなり内容の薄いカウンセリングだったように思う。

 

 

 

 

先週のカウンセリングは夢分析で「大火事で焼死する夢」について取り上げて話をしていたし、

 

先々週も、薬の副作用で有り得ないことが起こっていて、脳が使えなくて解離がどんどんと治るという、有り得ないことが起こっていたので、その症状の話をしたり…と、結構内容の濃いカウンセリングをしていたので反動が来たのか、今週はとても軽い内容だったように思う。

 

 

でも、内容の浅いカウンセリングであっても、“身体症状”はとても苦しい日であった。

 

 

朝から起床出来なくて、9時半過ぎまで寝ていたし、昼寝も2時間程した。

 

 

息が出来ないというのか、頭が変というのか、何が原因なんだか分からないが、潜在的な部分が何かしら刺激されていたのだと思う。

 

 

それにしても、今のカウンセリングも先生は1回代わっているが、もう8年以上になる。

 

 

それなのに、私はカウンセリングを20回位しかした感覚しかない。

 

 

「8年間以上もカウンセリングをした」という感覚が全くないのがまた怖い。死ぬほど怖い。

 

 

そして、今日のカウンセリングでも話をしたが、「“日々一日一日が消えていく”という解離の症状について話をしたが、解離をすることによって自分自身を助けている部分があるから解離をしてしまうのは仕方がない」と、いうことだった。

 

真暗の中月をめがけて飛んでいくこうもり

 

“解離という脳の働きによって、現在の時間軸をバラバラにさせ、自己を保っている”

 

 

ということだけれども、私からすると、全く意図していないし、本意ではないし、解離して欲しくない(>_<)。

 

 

「自己をバラバラにすることによって自己を守っている」って、全く持って自己は守られていない(>_<)。

 

不気味な樹々の合間から見える夜空

 

自分は壊れてしまっている。

 

 

“自己”というのか、“自我”というのか、何と表現するのが的確かは分からないが、とっくの昔に自己(自我)は、破壊している。

 

 

 

死ぬほど恐ろしい。

 

 

最近やっと解離治療8年目にして、それまで空っぽだった過去が空っぽでは無くなってきているが、まだまだ空っぽの日(時間)が多い。

 

 

解離していた期間が15年以上になると、あまりに解離期間が長すぎで、解離をしていない状態というのを忘れてしまう。

 

 

本当に私は解離をしなくなると死んでしまうのではないかと、真剣に思っている。

 

 

実際解離が治りかけた場面も数回あった。

 

 

それでも、解離をしていない状態なんで自殺をしてしまうので、なんとか解離をするようにしている。

 

 

解離を治すように今まで散々頑張って来たのに、解離の治りかけの時には、解離を使うようにしないといけない、なんて、皮肉も皮肉もいいところである。

 

 

私の場合は入院をしていると解離症状は強くなり、自宅に戻ると解離が段々とマシになるようになってきた。

 

 

「解離がマシになって来た」なんて言葉で言えば何てことないように感じるかもしれないが、「解離がマシになる」ということは人生を受け入れなくてはならず、その時、自分の人生に耐えられなければ自殺をしてしまうということである。

 

 

だから「解離が治る時に致死率が高まる」と言われている。

 

 

本当に、解離をしていないと、死んでしまうだろう。

 

 

死ぬから自分を守る為に解離をしている。

 

 

 

怖すぎて仕方がない。

 

赤黒い雲



 

解離をしていても怖いし、解離をしていなくても、怖くて耐えられなくて死んでしまう。

 

 

もう、本当にいい加減にして欲しいと思うが、解離の治療はかなり慎重にしないと本当の生命が無くなる。

 

 

「解離を治す」ということは私に取って命掛けの行為である。

 

 

 

「なら、解離を治さなければ良いのではないか?」と、思われる方もいらっしゃるかと思いますが、解離をした状態で居る事もデメリットがあり、

 

・時間の感覚がない

・生きている実感がない

・命を持っている感覚がしない

・ワープをしているように感じられる

・自分の人生が無い

・日々が積み重ならずに全て消えていく

 

等々、その他、兎にも角にも恐ろしい状態のままで居ることは、精神が錯乱してある意味壊れて死にそうになるのです。

 

 

なので、

 

 

「解離をしなくても死ぬ」、「解離をし続けても死ぬ」

 

 

と、どちらにしても死が迫っている状態で、精神的に「どちらの状態にも居られない」という感じなのです。

 

 

それはもう、怖くて怖くて堪らないし、全ての行動はこの世に何とか残している遺書的な感覚で行動しているような感じがしている。

 

 

そう思うと、このブログも始めたところなのに、気味悪いものになってしまうので、あまりこの点について長々と話をするのは辞めておこうと思うが、誰かの何か役に立つ情報を記録出来たらと思う。

 

 

「解離性障害」。この病気のせいで私の人生は恐ろしい程壊された。

 

 

8年間の治療が辛かっただけではない。

 

 

そして、今もまだ格闘中で死にかけている。

 

遠くの山の風景

 

今日のカウンセリング内容を書こうと思ったが、どんどんと脱線していってしまったが、内面に思っていることを書けてすっきりしている部分もある。

 

 

同じ内容になってしまったり、内容の無い記事になってしまったりすることが多いかと思うが、私自身の気持ちの整理も兼ねてどんどんと記録をしていこうと思う。

 

 

もっともっと色んな過去を遡ってみたいな…というのが今の感覚ですが、今日はここまでにしておこうと思います。

 

 

あ、後一つ。

 

私は今回の入院期間が3カ月を経過したのですが、病院が「急性期病院」だということがあって、一度退院しないといけない。

 

 

こんなに内面が動いている時なので、外界をあまり動かさずに安静にしていて欲しいというのが、カウンセラーさんの意見ではあるが、病院のシステム上、一度退院しないといけない。

 

退院をしなければ、恐らく転院になる。

 

 

転院になると、山奥の病院になることが多いし、もう当分精神病棟から出られなくなりそうなので、一日でも良いので退院しようと思う。

 

 

とても危険な状態ではあるので、退院をしても、どうせすぐに再入院をすることになると思うが、一日でも良いので退院をしようと思う。

 

 

大体は3,4カ月しか急性期の病院に居ることは出来ない。

 

 

その為、危険な状態であっても一度退院して再入院するということは、何とも危険で意味のないことだと思うが一日でも退院をして自宅で過ごすと入院期間は今は3ヵ月以上だが、そのカウントが一からの計算になる。

 

 

とにかく、一度退院すると入院期間がリセットされるということだ。

 

 

年内に退院することは無いとは思うが、正直今は悩んでいる。

 

 

でも、年末年始もどうせ、どこの病院も閉まっているので、対応出来なくなるととても危険なので、年末年始は特に入院は必要だろうと思っている。

 

 

ちなみに、昨年は、年末年始、しかも28日という年内最後の日に滑り込みで急遽入院させてもらった。

 

 

今年はそのような事がないように、

 

①先に年末までに退院して再入院しておく

②年明けまで待って年明けに退院する

 

この二択のどちらかを選ぶだろう。

 

 

早く退院したい気もするけれど、退院して万が一長期間、自宅で過ごすことが出来たら、自宅に居たいと思ったりするので、年明けに退院しようかな。。。

 

鞄を持ちながら階段に座って悩んでいる女性

 

と、グダグダとすみません。

 

とにかく悩んでいるという感じですね(;^_^A


画像もわざとらしいですが、悩んでいる女性の画像使ってみちゃいましたw

本日もどうもありがとうございましたm(__)m