解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

無職期間がとても怖い。

特に月曜日(昨日)とか、手が痺れる程、鼓動がかなり速くて精神が保てないのではないかと思う程、怖くてたまらなかった。

 

でも、だからといって働きに行ける訳でもないし、デイケア等に参加しに行ける訳でもない。

 

 

人は今にも死にそうな時でも、今後どのようにして生きていくかの不安は起きてくるものなのですね。

 

 

全く不安を感じなかった時もあるのに、将来のことの不安や無職の不安をするということは、多少なりとも考えることが出来てきたのか、精神的に余力が出て来ているということなのかな?

 

 

全く、することがおかしいかもしれないけれども、今は直接働く為に、何か“行動をする”ということが出来ないので、取り敢えず私は、今は運動をして体力を付けたり、ブログを書いたり、読書をしたり、一般常識的な問題にも関心を持って色々と勉強をしていこうと思っている。

 

 

兎に角出来る事をドンドンとしていこうと思う。

 

ノートを取りながら勉強をしている手

 

私が一般常識勉強したいと思うのは、私は高校生の頃遊んでしまって大学生の頃も遊んでしまっていたので、その時勉強しなかった分を巻き返したいと思ってる。

 

 

後、父方の家系が真面目だから、常に何か引き目を感じているから勉強をしておきたいと思ているのだと思う。

 

 

今日のカウンセリングのでもこの話をした。

 

 

「このように一般常識を勉強をしたいと思うのは、心の健常な働きです。」と、カウンセラーさんも言っていた。

 

 

“解離をしている時間”は、解離をしていない時に許す事が出来ないのだけども、そんな中でも、一般常識を身に付けようとすることは、地に足の着きそうな感覚がする。

 

 

解離をしていると、解離をしていない自分はなかなか受け入れられないけれども、何とか解離をしていても受け入れられるような日々を過ごしたいと思う。

 

 

一般常識の勉強の仕方もなかなか難しい。

 

 

気になる本を読んで行こうとは思っている。

 

何冊も積み重なっている本

 

今までも本は読んできたが、自分の興味のある内容の本しか読んでいないので、一度しっかりと全体的に基礎を一通り勉強をした方が良いのかと思ってきている。

 

 

でも、無理やり強制的にしてしまうと、勉強をすることが嫌いになってしまっては元も子もなくなってしまうので、今のまま、“気になった本を読む”というスタイルでいこうかとも思う。

 

 

どうでも良いことを書いてしまいましたが、まぁ両方すれば良いのかな。

 

 

頭の整理にブログを使わせてもらって申し訳ないが、このまま色々と自由気ままに書かせてもらおうと思います。

 

 

どうぞ、今後とも宜しくお願いしますm(__)m