解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

解離性障害

 


解離性障害になって15年。治療をして8年以上経つが、未だに解離をしている。

 

 

 

段々と解離もしにくくはなっているが、それでもまだ解離は使っている。

 

 

現在は入院しているが、もう退院しようかと思う。

 

 

また、色々考え過ぎてどうしようかと思う。

 

 

解離性障害は解離性障害でも、人それぞれ症状が同じではないようだ。

 

 

だからなのか、治療課程も人それぞれ違うとのことらしい。

 

 

しかし、通底している部分もあるようだ。

 

 

治療課程も本当に死ぬかと思うことが山のようにあった。

 

 

今一つ一つ取り上げるのも、キリがないので取り上げることはしないが、こんなにも解離性障害が恐ろしい病気だとは思ってもみなかった。

 

都会の夜道

 

解離性障害の治療を始めた頃(今から約8年前)、病院探しをしていた時の話になるが、解離性障害の書籍を出している、とある病院に行った時のこと。

 

 

解離性障害の著書も出しているくらいなので、それなりの医師だと思っていたが、診察をしてもらって唖然とした。

 

 

何故なら、「解離性障害は放っておいたら治る」とその医師は何度も言うからだ。

 

 

私自身、当時の時点で解離性障害を患って7年くらい経っていた時だったので「放っておくと治る」なんて言われてあっけに取られた。

 

 

解離性障害の著書まで出しているので解離性障害には詳しいのかと思っていた分、私は耳を疑った。

 

 

こんなにも適当な医師が世の中にはいるのだなと、驚いた。

 

 

この病院に行った時点でも、病院は点々とではあるけれど、5,6件以上既に行ったことはあったが、こんなにも解離を軽く考えている医師に出会ったのは初めてだった。

 

 

しかし、解離性障害はこのような語弊を与えてしまっても仕方のない病気なのだと、今の私なら少しこの医師の言っている事が理解できる。

 

雪の結晶

 

その後、カウンセラーから聞いたが「解離性障害」と言っても、色んな症状の人が居るということを理解した。

 

 

例えば、健常な人がテレビを観ていて名前を呼ばれているのに、気が付かない時とか、ボーっとしている時等の時に起こっているのですら「解離をしている」と言うようだ。

 

 

なので、例えば、「交通事故にあった」と言っても、そこには重症者から軽症者までいるのと同じで、解離性障害も重症度にかなりの差があるらしい。

 

 

私自身も、解離になって15年程経つが、始めの頃の方が解離性障害は軽症であったのではないかと思っている。

 

 

何故なら、記憶の抜けていく度合いが年々酷くなって来ているように感じるからだ。

 

 

解離性障害は解離性遁走、解離性健忘、解離性同一性障害、離人症と、様々に分かれているが、この中ですら結構人それぞれの症状が違って現れるとのことである。

 

 

私は、解離性障害の離人症に該当するが、症状としては離人症に、時間軸の無さ、積み重なりの無さ、生きている感じがしない、何も感じられない、時が止まっている、過去が空っぽに感じる…等の症状を患っている。

 

 

本当に死ぬ程恐ろしい。

 

 

解離を起こす事によって、自分自身を守っているということは解離性障害に通底しているものだと思うし、そんな解離を消したら、自分自身破壊しそうになって当然だと思う。

 

 

あまりの苦痛に耐えられないから解離という防衛本能を使っているのに、そんな防衛本能である解離を消そうとすると、そりゃ死ぬほど恐ろしい。

 

薄暗い岩場の海岸線

 

解離をする人は解離をする事によって、苦痛から逃れられている。

 

 

なのに、解離を治すとその苦痛を感じないといけなくなる。

 

 

もう、なんで解離なんてしたのかと、本当に悔しい。

 

 

解離性障害は幼少期の頃から、解離になる脳の使い方をしているとも言われている。

 

 

私も「幼少期の頃から解離をしていなかったか?」とカウンセラーに聞かれ、「あ、もしかしてあれって解離だったの?」というように、解離を既に幼少期の頃から使っていた。

 

 

ここまで病的な解離ではなかったけど、脳の構造は完全に「解離」の構造だったと思う。

 

 

 

 

かなり大雑把に言うと“怖い”という感情を、感じたくないから解離させて何も感じないようにして、その怖い空間から身を浮かすような感じで解離をしていた。

 

 

その他にも、解離と思われる場面は多々あったので、幼少期の頃から解離は使っていたのだと分かった。

 

 

カウンセラーさんも、「解離を使うのは解離が得意だったからその手段を使ったんだよ」とい言っていた。

 

 

人間生きていく工夫だったとしても、私は解離になんてなりたくなかった。

 

 

同じ体験をしても解離する人も居れば解離をしない人も居る。

 

 

私は恐らく愛着障害傾向にあるので尚更解離が使いやすかったのだと思う。

 

 

本当に解離解離と言うけど、解離は重症になると死ぬ程恐ろしい。

 

 

本当に生死の狭間さ迷っている感覚である。

 

 

しぶといしぶとい解離性障害の治療も段々と終盤になって来たが、ここからが特に慎重に行かないと死んでしまう。

 

 

私の場合かなり遠回りをしてしまった、解離性障害の治療だった。

 

 

こんなに酷くもならなくてすんだと思っている。しかし、どれ程嘆いても時間は返ってこない。

 

落ち込んでうなだれる若い女性



 

 

私は治療の8年間を丸々無駄な時間を使ったと思っている。

 

 

カウンセラーさんともこのことで何度も言い争いになってしまった。

 

 

でも、「カウンセリングに行かなければ良かった」と、正直思ってしまっているのだ。

 

 

 

 

だからカウンセリングに通い通した8年間は無駄であったと思っている。情けないことだし、無理なことだば「人生を返して欲しい」と真剣に思っている。

 

 

そんなことを言っても、人生なんて戻っては来ないので、これからを大切に生きていかないといけないとやっと最近思うようになってきた。

 

 

始めは、カウンセリングと病院に通った8年前の方が症状等全てにおいてマシだったと思ってまぁ、一年間位は「人生を、8年を返して!!」と泣き叫んで全く一向に受け入れられる状態ではなかった。

 

 

やっと一年間ほど泣きわめいてやっと受け入れられるようになってきた。

 

 

もう、本当に解離には振り回されすぎて、人生を棒に振ってしまった。

 

 

それでもなお生きていかないといけないので、何とか今日も頑張って取り敢えず生きている。

 

 

底辺中の底辺だけれども、何とか時間を無駄にせず出来ることをして有意義な時間を過ごしたいと思っている。

 

 

取り留めのない文になってしまったが、ここら辺で今日は終わりにしようと思う。

 

ハートと明るい緑の背景

 

今日も一日ありがとうございましたm(__)m