解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

【解離性障害】近状報告

 

退院から再入院

先月末に一度退院したが、カウンセリングをしてから自宅に帰ったが、自宅に居ることが出来なくて、退院したその日夜に緊急で再入院した。その時のことを今回は何となく記録に残しておこうと思う。

自宅で過ごせなかった理由

自宅で過ごすことが出来なかったのは、普段入院先などでは、解離されている自分(B)の状態で過ごしているのに、自宅に帰ると本当の自分である(A)の状態にかなり近くなってしまい頭が壊れて狂って死にかけたからだ。

 

何か“現実の世界”という世界には時間軸があり、時の経過は否が応でも分かっている。感じ取ることが出来る。それが普通の健常者の状態だ。

 

だけど、私は解離によって“時間軸の無い世界”で生きているので、“時間の経過”というものを認識出来ていない。

 

そんな状態(解離の状態)で約15年程生きて来てしまった。

 

約15年程自我の壊れている、かりそめの自分(B)が生きてしまっている。

 

そんな中、解離の治療も進んで来ているのか、一概には言えないけれど、とにかく自宅では時間軸のあるボックスの中に無理やり入れられ、本当の自分Aの状態に勝手に近づいて行ってしまって、息も出来なくて完全酸欠になり、何故か「水を飲んでは嘔吐をする」という謎の行動を永遠と繰り返していた。

 

そして「もう限界!!(>_<)」と、思ったので兄に連絡をして救急で先生に連絡を繋いでもらって急遽そのまますぐに来て良いということだったので、父親の車で何とか意識朦朧としながら、意識だけは強く持つように、自分が壊れないようにだけ意識して、何とか夜中に病院に駆け込めた。

 

病院に着くまでの車内で

病院へ行くまでの道中で、私は何度も死ぬかと思う体験をした。

 

“本当に死ぬやつ”を味わった。でも、どうしても、この“死ぬやつ”という感覚を言葉に出来ないし、死ぬ程怖すぎて思い出せなくなっている。

 

「解離が出来る道」と、「解離が出来ない道」の二つの道が私の目の前にはあって、「解離が出来る道」を選んだから生き延びたけれど、あのまま、もし、解離が利かなくなって、「解離が出来ない道」に連れて行かれていたら、私の命は無かったと思う。

 

「解離が出来ない道」は何か真っ暗闇で時間軸もあって、肌感からして恐怖まみれで、“死ぬやつ”だと思った。

 

今は解離をしているけれど

私は今は解離が良くも悪くも働いてくれているけども、今もし急に解離が出来ない状態になると、死んでしまうと思う。

 

その原因は、解離をしている原因とイコールだと思うのだが、要するに「自分では抱えきれない程の過去がある」ということだと思っている。

 

これは真実だと思う。

 

解離をすることで「過去を消している」のだ。だから、私は解離をすることによって生き延びることが出来ているのだ。

 

しかし、「解離を治す」、「解離を取る」ということは、私に取って受け入れられない物事を受け入れないといけないということになる。

 

“死”を感じたから無意識に“解離”という防衛をして生き延びた

 

それなのに、この防衛を外すとなると、その一度除外した“死”を再度受け入れないといけないということである。

 

自分の意識で解離をしたり、解離をしなかったりする訳ではない。

 

本能レベルで起こっている。

 

解離が嫌だら、何度も何度も「解離を早く治して!(>_<)」、「早く解離を取って(>_<)!」と、この約15年ひたすらひたすら解離を手放したくて藻掻きに藻掻いて来た。

 

私が解離罹患してからというもの、私の人生はすべて「解離治療に人生捧げた」、ただそれだけの人生だった。

 

そこまでして、「解離を治そう、取ろう」と、無我夢中で行って来たのに、いざ解離が治りそうになると、「解離が出来なければ死んでしまう」という見るも無残なになってしまっていた。

 

死ぬやつの正体

なので、先に触れた通り、「抱えられない程の過去」、解離を15年間もしてしまった事、本当の自分の状態A状態ではなく、かりそめのB状態のみで生きて来てしまったこと。かりそめの状態のBの状態であると、変な事を言うが生命は宿っていない。B状態には生命は宿っていないのだ。

命を持っているのは本当の自分、解離していないAなのだ。

 

そしてAを生きないといけなかったのに、Bが生きてしまった。Aが生きる時間であったのに、Bに約15年間も奪われた。

 

水と油のように混ざり合えないものを混ぜないといけないので(治りかけの時に)、頭が壊れて耐えられなくて発狂をして死んでしまうかと思う。

 

確実に混ざり合えない物を、どのように混ぜ合わせれば良いのか分からない。

 

先生も「解離が治る頃が一番致死率が上がる」というようなことを言っていたが、本当に、“私死んでしまうかも”と、毎日思っている。

 

そんな中

そんな中、このタイミングで8年間お世話になっていた主治医が転勤が決まった。上の方の差配で決まるので、直訴することは出来ない。受け入れるしかない。

 

今の病院でも自宅からでも1時間半程掛かっているのに、更にそこから1時間以上も遠い場所に転勤するとのことだ。

 

もう今の先生に診てもらうことは8割は確実に無理だろう。でも、「何とかして先生について行こう!」と、思ってもやっぱり7割程は無理なんじゃないかと思う。

 

今後の入院先も

そして、先生の転勤先の件とは別で、私自身、このままこの急性期病院(ここ)に入院しておくわけにはいかないので転院することになる。

 

病院から自宅に一時帰宅が可能な病院を探そうとのことである。

 

今の病院は「急性期病院だから」ということもあるが(期間に定めがある)、コロナの影響で一時帰宅が出来ないのだ。

 

自宅に帰ろうとすると、たかが一日であっても退院扱いになってしまうので、自宅に一時帰宅できない。

 

なので、次の転院先は、「病院から自宅に何度も帰れる場所」をメインに探してる。

転院先

しかし、転院先はそんな簡単に見つからなさそうだ。

今の病院は携帯もパソコンも使えるし、コンビニも行ったりできるし、常に自由時間なので開放的で自由が利いている。

 

しかし、慢性期病院になると、携帯が使えるところ自体が稀なケースになってしまうようだ。そんな中でパソコンの使用など要望を挙げると、どんどんと転院先がなくなってしまう。

病院の転院もとても不安だし、怖いし。この点も精神的な負担が私に重くのしかかる。

次の先生

約8年間も診てくれていた先生が変わる不安も大きい。

 

私には8年間の記憶があまりないから、今の先生なら私の8年分の記憶を持ってくれているようなものなのに、また一から新しい先生だと、本当にほぼゼロからのスタートになる。8年もしていてゼロからって。涙 カルテは残っていたとしても、現場で何があったのか、文字だけでは理解出来る部分が狭まってしまうだろう。

 

そんな事も怖くて不安で堪らない。

 

解離を診れる人に当たるとは思わない。“後任がいる”と言っていたので、今の先生について行かなければ、その後任の先生が受け持ちになるのは必然だろう。

 

追記

その上、運動不足に、薬の副作用の影響で3.5キロ程体重は増加するし、高校時の学び直しの勉強をしているが、思うように進まないし、頭が使えなくなっているし、頭は痛いししんどし。

 

と、うだうだとすみません。

 

何かもう毎日涙は出てくるし、精神的に「私って死ぬんじゃないか?」「私って死ぬんじゃないか?」「解離が取れたら死んじゃうけど、どうしたら良いの?」って、そんな事ばかり、が頭の中を埋め尽くしてして。

 

精神的に参っている。

 

それに、「過去が空っぽ」と、解離になってずーっと言っていたがだんだんと、過去を思い出せるようになって来てはいる。

 

でも、頭だけで思い出せても、体感として思い出せなかったり(他人事のようにしか思い出せない。当事者になれない)、今の過去がどちらが今起こっている事なのかが分からなかったり。。

 

その他にも、色々困っていることはあるが、今はこのような状態で精神的に疲れ切っている。

 

早くどうにか、良い方向に進んで欲しいと願っているがどうなるのかな。その間出来ることをしておこうと思うが、解離の様子が少しでも広まればと思うし、何か節目というか変わり目なので、記録として残しておこう書かせて貰いましたm(__)m

 

「世界が混ざってなのか、頭がユラユラする」とか、色んな症状は以前から引き続きあったり、それ以外のことも症状として出てはいるのですが、また書く機会があれば書かせて頂くとして。

 

今日はこの辺で終わりにしようと思いますm(__)m

 

また色んなブログを書いていこうと思います。

 

本日もありがとうございましたm(__)m