解離性障害の日々(闘病記録等)

思ったこと、関心事、気になること、病気のことなどをメインに日々つらつらと書いていきてたいと思っています。

雪解け?洪水?  亡き祖父の声

2・3(金)

本日の解離性障害の様子

今日の様子は、熱は無いけど、嘔吐と腹痛で一日中横になっていた。

何かしようとは思っていたけど、やっぱり体が弱っていて、結局16時までほぼ眠ってしまっていた。

 

後、過去の想起が激しすぎて過去が蛇口で捻っているかのように溢れ出てきて苦しかった。

 

28歳までの過去は受け入れられるが、28歳以降の過去は受け入れなくて暴れていた。

 

午前中も暴れすぎて、患者さんに迷惑を掛けてしまったから、これからは少し気を付けようと思う。

 

それにしても、過去が溢れ出ているのもきついけど、その事よりも、自分を許せなくて首をしたりしそうで苦してくて苦しくて仕方がない。

 

今日半日、一日泣いていると、父方の亡き祖父の声が、や―――――っと少し届いた気がした。解離になってから全く亡き祖父の聞こえなくなっていたのに少し聞こえるようになって来ていたように感じる。

 

 

そう思うと、神社の声も全く聞こえなかったが、少し聞こえるような気がする。これは何も“神様の声が聞こえる”と、言いたいのではなくて、自分で自分の心の声をキャッチできるように、解離で聞こえなくなっていたものが、聞こえるようになって来たということが言いたい。

 

15年ぶりの声である。

 

亡き祖父や神様の声をずーーーーーっと待ち望んでいた。

 

こんなに嬉しいことはない。「許してくれている」というような気もするからである。

 

解離がだいぶ弱まって来ているから起きた事だと思うけど、その反面、頭壊れて発狂してしにそうなのには変わらないし、過去が溢れ出てくるのも危険すぎて仕方がない。

 

入院出来ているから何とか良い物の。そして、あの“死んだ”という感覚には変わりはないので、亡き祖父の声等聞こえたかと言って全てが治ったわけではない。何なら今からが始まりだと思う。

 

ここからどのように、解離していた期間や過去のことを受け入れていくかが問題となってくる。

 

過去が苦しいと言うか、自分で自分のことが許せないから苦しい。

 

そして、今間まで、過去に色は付いていなくて無味乾燥だったのに、思い出すと今は過去にきちんと色が付いている。

 

だから苦しいのだけれども。

 

吹き出しているように溢れ出ているので次から次から記憶が出て来て、まるで地獄のよう。思い出したくないから、解離をして蓋を頑丈に閉じて心の奥の方に閉まっていたのに、今どんどんとそのように蓋をした過去たちが溢れ返っている。

 

自分で言ってはおしまいだが、この解離の治療、本当によく踏ん張ったと思ってしまう。本当に本当に苦しすぎた。

 

今でも“命がないやつ”なのには変わりないので、これから死なずに、どのように生きていけるか、まだまだ解離治療の序の口だと思うが、これからが本番で、どのように命を投げずに“頭が狂わずにいれるか”が問題となってくる。

 

解離なんて本当はしたくなかった。言葉が足りなかったからなのかな。

 

もっともっと、自分に起きていることをキャッチして、咀嚼して、理解して相手に伝えられたら、もっと違った形になっていたのかな?

 

自分の拙さは常に実感する。

 

今も本当の自分であるA状態には近づくことも出来ていない。

 

Aが完全に空っぽでは無いが、Aまでの距離はある。

 

昨日はA に引っ張られそうになっていたけど、今日はそのような感じではない。

過去の想起、“過去に色がついて現れる”これがメインだとは思う。

 

何よりも今日は体調不良だったので、ずーっと横になっていたが。

 

目もずっと瞑って外界を遮断して、内面に向かうようにしていた。

 

これからどのように生きていけるのだろうか。

自分で自分の首を絞める程、自分を許せないので苦しみもあるし、まだまだ解離をこれでも8割はしているので、解離が出来なくなると、もっともっと苦しくなって地獄になるのだろうから、死なないか本当に心配である。

 

それにしても“過去が空っぽ”というものから少し記憶が体感を通して蘇って来た。

 

これからどうなるかまた書けたら書いていきたいと思う。

 

ありがとうございましたm(__)m