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今回も、自分自身の体験から、同じ轍を踏まないように何か伝えられたらと思ってブログを書いてみようと思う。
「自分を偽り続けて」
自分を強く見せようとして、自分を偽り続けたら解離性障害という病気になった。
「解離は時代の申し子」だということを何か解離関連の本で読んだことがあるが、本当にそう思う。
私もこの時代でなければ解離性障害にはなっていなかったと思う。
“自分を偽る”ということが、どれ程自分の人生を崩壊してしまうことになるのか。
偽り始めた時は
偽り始めた時は「またいつかちゃんとすれば良いや」と思っていたが、もう、そんな悠長な事を言っている余裕はなくなり、偽りは加速度的に進んで行った。もう引き返すことは簡単には出来なくなってきていた。
自分が気が付かないうちに、ジワジワとその“偽り”から、身が引けなくなって自分自身をを崩壊することになる。
私自身がそうだった。
「これくらいいいや」と、気楽で可愛らしい偽りだったが、いつの間にか恐ろしい程、偽りが偽りを重ねていき、もう自分自身の力では戻れない程、自分では身が引けない程、恐ろしい事になってしまっていた。
偽りの原因
私はの偽りの原因は自分の弱さからだ。
強く見せないと「いじめられたらどうしよう」という思いがとても強くて、派手なグループに身を置くことを常に考えていた。
だから、“自分の良い物”よりも、“他人が良いと思うだろう物”を身に付けたり、周りに合わすことに精一杯で、本当の自分の気持ちを放置してきてしまった。
おかげでいじめられることや嫌われることはあまり無かった。しかし失ったものは計り知れないほどの物であった。
“本当の気持ちを偽る”ということは自分を生きていると思えない。
誰の人生を生きているのか。
だれのための時間なのか。
だれのための人生なのか。
もはや分からなくなっていた。
上辺だけでは元気よく何の問題もないように映っていたかもしれない。
しかし、心の中では泣いて泣いて常に泣いていた。
今思い出すだけでも、涙が出てくるほど、あの時は辛かった。
よく生き延びたと思うが、こんなに自分を、自分の人生を潰してまでしないといけないことだった“偽り”なのかと疑問に思う。
これ程無駄な時間は無かったと今でも思う。
“愛着障害”
突然であるが、私の偽りは「そのままの自分でOKである」という感覚の乏しさから、来ているとのことだ。カウンセラーさんに言われた。
しかし、障害障害と何でも障害にしてはいけないと思う。ただ私はこの傾向が強かった。愛着面で上手くいっていないことは分かっていた。
また「安心感の不足」から、不安感が人よりも強いらしい。
かと言って、「病気だから何でも仕方がなかった」と、言いたい訳ではない。
これは愛着障害でも立派に生きている人は五万といるし、今でこそ、何でも“障害”と付けるが昔なんてそんなことで障害たはならなかった。
愛着障害の傾向はあれど
愛着障害で同じように悩んでいる人、同じ思いで生きている人は意外に多いかもしれない。
だからこそ、私の失敗の経験を少しでも生かしてもらえたらありがたいと思う。
何か目的を持って生きることの強さで乗り越えていってほしいと思う。
小さな偽りを無視しないように。偽りは加速度的に大きくなって自らの身を亡ぼすということを忘れないでいて欲しい。
身が引けないことにならないように気を付けて欲しいと思う。
本日は短めだけど、この辺で終わりにしようと思う。
ありがとうございましたm(__)m
では、また☆